2008年11月13日木曜日

村上春樹『スプートニクの恋人』講談社

 長編小説。本当は『ねじまき鳥クロニクル』を読もうとしていたのですが、こちらは腰を据えないと読了しそうにないので、短めのものを先に読むことにしました。とにかく文章が風呂場のタイルのように無機質的に思えて読んでいる最中はずっと違和感を感じっぱなしでした。ただ、この小説を読んで「村上春樹の読み方みたいなものがだんだんわかってきました。村上春樹の小説へのチャンネルの周波数があってきたような気がします。この作者は何の変哲もない、特殊なデザインも何もない均一なタイルのように言葉を積み重ねながら、無意識の深いところに下っていくのだなと感じました。
 作品の登場人物が「ぼく」と「すみれ」と「ミュウ」の三名です。そのどれもが、まさに「行くところまで」行き着くという感じで話が進行していきます。全体としてアンニュイな雰囲気が漲っているようで、会話の詳細はきわめて「まじめ」です。「真摯」と言ってもいいくらい。そして会話の「真摯さ」の中に私たちが失って大切なものを感じ取るうちにひそかな感動が下のほうから沸きあがってくるのを感じることができるかもしれません。
 こんな生活ができるのは日本でどれだけいるのだろうと、登場人物の経済的裕福さが一般的でないことは重々に承知しながらも、登場人物たちはそれぞれの「たましい」の極限まで体験せざるを得ない状況に立ち至っていきます。物質的には恵まれているだけに、引き裂かれるたましいの悲痛さがひしひしを伝わってくるそんな作品でした。

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