2008年11月6日木曜日

山田太一『遠くの声を捜して』新潮文庫

 これも河合隼雄さんの対談集で誉められていたので読んでみようと思いました。
 『異人たちとの夏』の印象が圧倒的だったので、こっちのほうは最初は静かな読み出しでした。それにあらすじを若干頭に入れて読み始めたので幾分用心しながら読み進めていましたから。
 主人公は29歳の「笠間恒夫」という東京入国警備官という設定です。不法就労している外国人の摘発という精神的な重圧に日々さらされる毎日、恒夫もストレスがいっぱいになっていることは容易に予想されるところです。そんな恒夫にあるとき女性の「声」が聞こえます。「ダレ、ナノ?」というその声はまるで地球の反対側からテレパシーで送られてくるように聞こえてきます。無視することのできないこの「声」の呼びかけに恒夫は抗することもできず、逆にこの声の持ち主を捜し始めます。ちょうどこのころ恒夫はお見合いの後の婚約をしようとしている頃で、ひとつのクライマックスが結納の儀式のときにやってきます。この場面は河合隼雄さんと山田太一さんの対談の中で取り上げられたので知ってはいたのですが、まさかこんな場面とは、実際にその部分を読むまではその迫力に触れられなかったのです。この結納の場面で恒夫は自分でもコントロールできないくらい「哄笑」の渦に巻き込まれてしまいます。仲人である上司の憤りや婚約者の父母のとりなしや婚約者の茫然自失などから恒夫の「笑い」の異常さが際立ちます。それはさかさまにも言えるのであって、恒夫だけが正しく周囲の人々こそ結納という儀式の「うそ」や「体面」にしがみついているともいえましょう。
 いずれにせよ恒夫は統合失調症(精神分裂病)の兆候を示しているようにも見えます。しかし、そんな病名よりも、一人の青年の(河合隼雄さんの表現を借りれば)「たましい」に触れることができるそんな圧倒的な読後感が残るのではないでしょうか。

0 件のコメント: