2008年12月11日木曜日

ピーター・ミルウォード先生のお話

 先日、上智大学名誉教授のミルウォード先生のお話を聴く機会に恵まれました。シェークスピア研究の碩学ミルウォード先生には、シェークスピアについて質問のある友人のたんなる付録としてついて行ったのです。
 先生のお話は本当にシェークスピアへの真正の愛情にあふれていました。いつまで聴いていても飽きないのです。
 とくに、『リア王』の中のコーデリアの死体を掻き抱くリア王を描く場面を、先生はイエスの死体を抱いている母マリアのピエタの像になぞらえられました。この場面を語るミルウォード先生の目には悲痛な思いとキリスト教の信仰のふたつを私は感じました。
 当時のイギリスでは政治の出来事を事実そのまま描くことは逮捕監禁そしてみずからの死を意味しました。
 イギリス王はカトリックと袂を分かち、カトリックの人々は迫害の憂き目に会っていたのです。
 現在のイギリスのあちこちに残っている教会の廃墟はわずか5年の間に破壊された跡なのだそうです。
 教会の財産はすべて国家に吸収されたのです。
 シェークスピアのこころにはその当時の政治状況と、福音書に描かれるイエスの死と復活の双方が生き生きとしていました。
 しかしそれを直接語ることはできない。
 なので、シェークスピアは中世のデンマークをハムレットに描き、別の時代のスコットランドを舞台に別の作品を、というように「違う時代」を描いているように見えながら、描かれているテーマはイエスとキリスト教のこと、それにシェークスピアが生きていたイギリスの時代状況であった、というのがミルウォード先生の持論でした。
 シェークスピアは絶対にその意味がわからないようにその作品を書く必要があったのです。
 とても説得的で、あまりシェークスピアについて知らない私でも感動しました。
 今度『リア王』を読んでみたいと思いました。

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