2010年5月7日金曜日

再び顔なしについて

 あれから犬の散歩に出かけ、この同じテーマについて考えてみました。
 ユング心理学によると、顔なしの「顔」とは「ペルソナ(仮面)」にあたります。ペルソナとは元型のひとつです。私達が対人関係において見せる顔のことをペルソナと言います。職業などの場合にはひときわこのペルソナが強力に私達自身を縛ります。個人であるよりも教師であり警官であり医師である等々。しかし、このペルソナはあくまで仮面で私達一人ひとりの個性の一部をなすに過ぎず、決して私達の全体をカバーするものではないにもかかわらず、実際には帰宅しても職場以外の人間関係においても職場でのペルソナ(社長であるとか商店を経営しているとか)を被りつづける人もでてきます。こういうペルソナが肥大化して自我を覆ってしまうと、人間らしさというか若々しさが枯渇していきます。人間を生き生きとさせるのが、男性の場合だとアニマ(魂)元型で、女性の場合には男性形のアニムス元型です。ペルソナが強力すぎると自己イメージがひとつの職業人に固定されて自分のアイデンティティは職業だけになってしまいます。そうすると自我の背後に控えているアニマ(アニムス)は枯れていきついにはその人の人間らしさ若々しさを奪ってしまうのです。人格として硬直してしまうのです。
 この反対に引きこもりなどで対人関係が貧弱になっていくとペルソナは弱く薄くなりその反対にアニマ(アニムス)元型が過剰に活性化してしまい、その結果アニマ(アニムス)は自我にとって得体の知れない化け物に見えてしまいます。人間の場合は、自分の無意識にある化け物は他者や世間に投影されてますます引きこもりの傾向を強化してしまう一方、ペルソナを持たない人は自分自身が化け物と化していきます。そして背後でこれを操っているのがアニマ(アニムス)元型ということになります。

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