2010年5月16日日曜日

防衛反応について

 教師をしていますと、たくさん予習していっても授業がうまくいかないときがままあります。自分の頭の中には授業で活用する様々な「秘策」や「秘密兵器」を準備しているのにどれもうまくいきません。そうするとあせるばかりで、今度は授業の失敗をこっちを理解できない生徒のせいにしてしまいます。
 逆に疲労してしかも何も準備していなくても最高の授業ができることもよくあります。疲れのせいで無用な構えが取れて自然体で生徒と直接向き合えるからです。
 人間関係も授業と同じで、相手にすきを与えまいとして防衛的に反応し失敗してしてしまうことがあります。確かに構えていれば相手に伝えるべき必要な情報はそつなく伝え終わるという任務は全うできかもしれませんが、肝心なものが欠けているような気がします。意思の疎通はできても気持ちが通じ合っていないので、結局相手の心までもっとも大切なメッセージが届いていないのです。
 責められるという不安や恐れ、失敗への恐怖が、防衛的な構えを強力にします。そうすると、伝わるのはこの防衛の構えの方で、その内側にある大切なメッセージは硬い殻の中に閉じこもったままで、お互い孤立した関係にあるのです。当然、相手も私の方の防衛的な反応に防衛的に反応してしまいます。ちょうど冷戦時代の米ソの関係に似た関係が人間関係の中で再現されます。生まれるのは不信感だけです。しかも私は不信感を感じていて、相手が同様に不信感を感じていることに思い至らないことも多いのは、自分自身が防衛的な構えの殻から一歩も外へ出ないからです。
 自ら防衛的な構えを捨て去るには、自分が防衛的に反応しているということにまずは気付くことが必要かもしれません。

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