2010年5月16日日曜日

恐れと欲求不満

 学校に勤めているといろいろな子供がいて、子供に与えるこちら側の投影や子供から受けるマイナスの転移によってがんじがらめになりがちです。子供が子ども自身の親その他の大人や関係者に対するネガティブなイメージをこちら側に当てはめ、私ではなくその子供の親などに対する感情や情動を私に向け、同時に私自身がそれらの転移された情動を私自身の無意識の中で反応させ、その私の無意識の反応を自覚しないとき、そのときこそ私が子供から受ける転移によって身動きがとれず、自分の無意識の感情すなわち自分のシャドウ(影)によって支配されてしまうときです。
 こうなってしまうとクラスの雰囲気は互いの無意識や影によって支配・束縛を受け、自由な雰囲気は失われ、互いにネガティブな感情をぶつけ合う悪循環に陥ってしまいます。
 このことについて考えているうちに、私は自分の幼稚園の頃の出来事を思い出しました。
 幼稚園には一年間だけ通ったと覚えているのですが、その一年間のうち夏休みや冬休みなどを除いて、私の出席手帳には出席のしるしを意味するシールが四分の一も貼られていなかったことを思い出します。
 幼稚園に登園すると、必ず二人組の年長の女の子がいたのをおぼろげに覚えています。私はこの意地悪な二人組みの餌食にいつもなっていました。大半は忘れてしまったのですが、ほぼ毎日のようにいじめられていたような気がします。おそらく片方がリーダー的存在でもう片方の女の子は同調しているだけだったのかもしれません。いじめといっても、二人組みの言うとおりのかっこうをさせられたりしたことだけを思い出します。自分の意思に反するポーズをこの二人の前で強制されることは屈辱的でしたが、仕返しが怖いのでこころとは裏腹に顔は笑いながら道化を演じていたように思います。
 もしかしたらもっとひどいことをされたのかもしれませんが、それは完全に忘れています。いつか思い出すかもしれませんが・・・・・・。
 ただ、二人組みの命令にしたがって変なポーズをとったり、二人組みの要望に沿えないときには二人組みが私の手足を勝手に動かしてまるで私は人形のような扱いを受けていたことは思い出します。そしてそれに対して反抗できない自分はお腹の中に欲求不満ばかり溜め込んでいたように思います。自分の意思に反して動かなければならないのはいくら顔で笑っていても苦痛なので、それで幼稚園をずいぶん休んだのではないでしょうか。
 こうした欲求不満の底には、二人組みへの恐怖、そして恐怖の底には憎しみや怒りが存在したような気がします。
 このような恐怖や憎しみ・怒りは元になった欲求不満は、次第に生きようとするストレートな気持ちを減退させていくような気がします。そしていくら幼稚園時代という遠い過去の出来事でも、現在の私の心の中にいまだわだかまっているのに気付くと愕然とします。

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