2010年8月21日土曜日

通常のカウンセリングと催眠療法の違い

  通常のカウンセリングといっても、現在の日本では心理療法もいろいろな流派がありそのすべてを知っているわけではありませんので、ここでは私が知っている限りでのカウンセリングというものと催眠療法との違いについて書いてみたいと思います。

 現在の日本でもまだまだロジャースの影響が強いような気がします。1950年から1960年ころにアメリカから日本に入ってきたカウンセリングの方法というかひとつのスタンスです。ロジャースによれば、共感しながらクライアントのいうことを傾聴していくことでクライアントの抱えている問題に対するクライアント自身の見方に変化が生じ、自ずと解決の道をクライアントの方で見つけていくというものです。正確なロジャース学派の主張していることと違うかもしれませんが、基本的にロジャース学派のカウンセリングではカウンセラーは(これは他の流派でも同じですが)クライアントに対して意見や忠告などは禁止されます。ただ「そうですね」とか「そうだったんですか」とか「つらいですね」とかあとはクライアントの言ったフレーズ(文章)をそのまま繰り返したり、とかクライアントと同じあゆみをするだけです。ここで大切なのはクライアントのあゆみを一歩も先んじてはならないということで、それでもクライアントに共感したり、一生懸命に聞いたり、クライアントの言うことを繰り返したりすることで、クライアント自身の心の底から自分自身の問題に取り組もうとする活力が湧き上がってくる、もしくは湧き上がってくるのをひたすら待つ、ということが大事なのです。

 ですから、ロジャース学派のカウンセリングは短くても半年以上、長くて3年も5年も時間がかかります。もちろんその間にクライアントさんのほうがいやになって逃げ出さなければの話ですが。

 今日の日本、特にスクールカウンセラーの態度はだいたいこのロジャース学派の「共感」と「傾聴」に基づいているのではないかと思います。

 たしかに、カウンセラーとして共感しながら傾聴していくことや、クライアントさんのいうことをペーシング(クライアントの言葉を繰り返す)していくのには非常な体力精神力が要ります。そして、「あなた(クライアント)の感じているのはこういうことではないでしょうか」とクライアントさんの感じている感情や「感じ」をカウンセラー側で表白するのもひとつの名人芸ではあります。カウンセラーとクライアントはひとつ空間のなかでクライアントの語る言葉や問題を共有することでひとうの心に溶けこもうとしているのかもしれませんし、そこにロジャース学派の「ダイナミックさ」が存するのかもしません。
 ただ、クライアントの立場から見ると、ただ共感されているだけでは物足りない、いや、それどころか、カウンセリングを重ねれば重ねるほど、なにか不満のようなものが溜まってくるように感じるかもしれません。

 いつまでたっても核心の部分に入っていけない、いつまでたっても周辺に立ち止まっているという不満がそれなのかもしれません。
 つまり空回りになってしまっている場合、ロジャース学派の場合、そのまま核心に到達するのを逆に妨げているケースも考えられるのではないでしょうか。

 催眠療法(ミル・ファイユ・ヴェルトのリーディングも)では、まずは、感情をテーマにしますので、その人が今何を考えているか、もしくは、今を何を感じそれをどういう言葉で表現してその表現されたものを主題にするというよりも、その人の無意識がリアルタイムで指し示しているものに立ち向かうことができます。ただ、出てきた感情がクライアントさんの無意識の奥深く隠されたものであると、なぜにこの感情なのかクライアントさん自身にも自分の日常の意識と結びつけることが不可能になってしまいます。そこに強烈な拒否反応も生まれるのですが、拒否反応が強ければ強いだけ無意識の核心に入っているという証拠でもあるのかもしれません。
 私たちは日常の意識のなかで、無関係なものを一緒くたに結びつけたりしません。たとえば、靴とマンガ本。この両者は一般的にはナンセンスですが、ある特定の個人にとってはとても含蓄深い意味をもつかもしれません。しかし、その人が自分の無意識のなかに深く入っていかないならば、自分の体験に根ざすものにもかかわらず、この「靴とマンガ本」という取り合わせは意味から疎外されたままなのです。

 ロジャース学派の、つまり通常のカウンセリングの方法では、言葉を使っての表現であるために、この無関係なものの結びつきという発想がなかなか出にくいのかもしれません。論理化していくことで、自分の心の奥深くにあるもに到達するのが容易でないのです。

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