2010年8月21日土曜日

催眠療法とリーディングの違いについて

    カウンセリングと催眠療法との違いについては前回尻切れトンボになってしまいましたが、若干述べてみました。

 もちろん通常のカウンセリングにも利点はありますし、クライアントさんのもつ問題の種類によって通常のカウンセリングが適している場合が少なくありません。

 しかしながら、通常のカウンセリングでの、主に共感と傾聴、それにクライアントさんの言った言葉やフレーズの繰り返し(ペーシング)だけではどうしても足りない場合があります。

 通常のカウンセリングでは基本的にクライアントさんに対して忠告や忠言はしないことになっています。表面的にはその時々のクライアントさんの問題解決に資するようにめますがいくらよい忠告をしたところでクライアントさんの抱える問題の根本解決には繋がらないのです。つまり、クライアントさんが要求しているのは、表面の要求とその底に深い要求との二重になっているということです。

 忠告はクライアントさんの表面の要求に答えを提供するものですが、クライアントさんにとっては問題の根源は深く無意識に根ざすものですから、こっちの無意識の方の要求に耳を貸すものでなくては持続的でないのです。

 それに具体的な事柄やモノを要求しているのではなく、その事柄やモノを欲求する無意識の方の要求や声のほうが大事なのです。

 しかしながら、分析心理学の祖ユング自身は彼自身のクライアントであるある神経症の青年にそのときその青年が続けていた中年女性との不倫を即座にやめることが青年の神経症を治癒する方法だと述べたにもかかわらず、そう言われた途端、その青年はユングのところにこなくなったそうです。これはカウンセリングにおける忠告の無効性を証明してもいますが、同時に、カウンセリングは人間の無意識を扱うものですが実際にはその無意識というのは日常生活の具体的な人間関係や物質的な生き方と非常に固く結びついていることを証ししています。

 催眠療法においては、過去の幼児期などに起こったトラウマ的な体験やそのときの感情を思い出すことで、現在支障をきたしている生活を回復したり治癒したりすることを目標としています。フロイトが「反復強迫」と名付けた理論がここ催眠療法では実際に生かされていると考えられます。

 すなわち「反復強迫」というのは虐待を幼児期にうけた人が成人後も虐待をうけやすい人間関係に自ら知らず知らずのうちに自分の身をおいてしまう無意識の自発的行動のことを指します。他人から見ると本人が意識して好きでやっているように見えますが、本人にしてみれば、自分の無意識でやっていることですから、あたかも多重人格者における他の人格がかってな行動をやらかして主-人格があとで困るといったケースと似ていうるかもしれません。

 「反復強迫」は自分の本当に嫌なことを本人が真に気づくまで同じような体験を繰り返し繰り返し本人に繰り広げる、巻き込む、という心の仕組みなのですが、これが続くと無意識に不幸な人生を繰り返すことになり、催眠療法で過去の「反復強迫」の元になっているトラウマ的体験を思い起こすことで、この不幸の根っこを断ち切ることが可能で、それまでの悪夢のような人生から、真に前向きな希望を持てる人生へと変換をはかることが叶う可能性が出てくるのです。

 ただ、催眠療法では基本的には、クライアントさんがよりスムーズに過去の出来事を思い出していただくためにひたすらリラクゼーションに時間をかけます。クライアントさんによっては、リラックスすることそれ自体に罪悪感を感じてしまったり、リラックスする必要性さえ無感覚になってしまっている方も少なくありません。無意識のうちにリラックスすることに抵抗感が存在するようです。自分に鞭打って自分を罰することが心のバランスを取るように心のメカニズムができあがっていたり、リラックスすることで思わず過去のトラウマを思い出す可能性が生じるのを防ぐ目的ももっているのかもしれません。なので、リラクゼーションと言っても生やさしいものではなく、私にとって催眠療法を行うときは文字通り冷や汗・脂汗をかきながらクライアントさんにこれでもかこれでもかと何重にも深いリラクゼーションに導くように努力しています。

 催眠療法を実際に行うときには、リクライニングチェアに横たわって暗くした部屋で行うため、ある意味クライアントさんに「さあ思い出すぞ」と構えさせることになり、普通の椅子に腰掛けて通常の話をしているときには思い出せるのに、リラクゼーションをして退行催眠に入るのでよけいに何も思い出せなくなる人が若干います。それにはよほど大きな心の負荷がかけられていて思い出すものが重い場合には起こりやすいものです。しかし、何度か試していくうちに、思い出す状況が次第に具体的になり思い出す場所や人々や自分の立ち位置なども奥行きと匂いその他の五感を伴なうものとなります。そして深い感情も蘇っていきます。
 催眠療法では基本的に私のほうからあれこれ価値判断することは一切控えます。それがよかったか悪かったかはご本人次第で、しかもご本人の経験や認識の深さによって「人間万事塞翁が馬」のように善悪が入れ替わったりします。

 家内がやっているリーディングの方は基本的に何も道具立ては必要とせず部屋の明かりもそのままです。普通のいすで特にリラクゼーションの誘導も行わず、いつのまにか深いトランスにクライアントさんは入っていきますが、おそらくご本人も自分がトランスに入っているかどうかなど気づいておられないと思います。ごくごく普通の日常の会話からセッションは進んでいきますので。

 大きく催眠療法と異なるのは、完全に100%無意識の深みに忘却されている記憶(それだけにやっかいでその人の人生を根本から支配しているのですが)を家内の特殊能力とでもいうのでしょうか、気の力というのでしょうか、よく説明はできませんが、いずれにせよクライアントさんの心の世界に入って思い出せない部分や障害となっている箇所をスムーズにして(どうやって?かはわかりません)ご本人にまざまざと思い出す手助けをすることにあります。ですから、オーラリーディングなどで「あなたの前世は☓☓です」とか「あなたの未来はこうなります」とクライアントさん自身、寝耳に水のような話を投げかけるのではないのです。どなたかあるクライアントさんが「それではそれはダンブルドア校長がハリー・ポッターに彼の過去のビジョンを見せるようなものなのか」と聞かれましたが、まさにそれが一番近いといえましょう。

 効力としてはうちでやっている催眠療法よりも家内がやっているリーディングのほうがはるかに強い効力をもっていると思います。ただそれだけに、「なかったことにしよう」とか「これはみなかったことにしよう」という心理が後で働き、よほどの覚悟やよほど人生において追い詰められていないと、元の木阿弥のなる可能性も高いです。

 また身体の状態も心に影響されて病気になることも最近では認められてきていますが、リーディングの結果、良い結果をもたらす可能性も考えられますが、それはあくまで結果オーライで、霊感商法のようにあらかじめこれを施すと病気がなおりますよなどとお約束することはできません。

 リーディングの場合はふつうのリビングでふつうの椅子に座って普通の会話のなかで進めていくのですが、そのためにひとつだけクライアントさんにやってもらうことがあります。それは「グラウンディング」といって、自分の身体の各チャクラに意識をあわせてもらうことです。それは実際にやってみるとそんなに難しくもなく、練習なども必要ありません。

 リーディングについては次回もう少し詳しく書いてみます。

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